2022/06/25

踏切のある街

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 その朝は、一つ気がかりな夢を見たこと以外は、何の変哲もない薄曇りの日の朝だった。

 目を覚ましたとき、時間感覚を喪失していた。灰色の遮光カーテンの向こうに漂っている光の気配は、普段の朝のものよりもずいぶんと弱く、日が昇り切っていない早朝に目覚めてしまったのか、それとも曇りの日でそうなっているのか、判断できなかった。眠気でまだ頭がはっきりと働ない僕は、ただ薄目を開けて、その弱い光を湛えているカーテンを、しばらく眺めていた。

 ぼんやりとした意識の片隅には、目覚める直前まで見ていた夢の記憶が曖昧に漂っていた。けれど、もうすでに夢の全体像は思いだせない。いくつかの断片的なイメージだけはおぼろげに浮かんでくるものの、それらは鮮明にも、ひとつのまとまりになることもなかった。

 目覚めたあと、妙に胸に残る夢。そんな夢を見る日は、別に珍しくはない。けれど、どうしてか、この日の僕は、その感覚がいつもよりも強く気になって、しばらくの間、意識して夢の内容を思い起こそうとした。

 しかし、記憶は薄れていく一方で、結局どんな夢だったのかは思いだせなかった。僕は、胸のうちにわだかまっていた気持ちを吐き出すようにして、ひとつ大きくため息を吐き、身体を起こした。

2021/03/21

短編:秋と冬のあいだに

 秋と冬の境目って、どこにあると思う?


 高校受験を控えた十五歳の秋の日に、僕は彼女とそんな話をした。


 今でも、あの日のことは鮮明に思い出すことが出来る。十一月の冷えた夜のことで、僕がその問いを発したとき、彼女はきょとんとした表情を浮かべていた。


 あの時期、僕と彼女の関係はとても短い間に急激に変化していた。この話をしたときにはもうかなり親しくなっていたのだろうけれど、当時の僕はその変化をあまり自覚していなかった。そしてその意味についても。


 十五歳前後の頃は、考えなくてはいけないことがたくさんあった。自分自身の内側のことについても、外側のことについても、様々な問題や疑問や不安が毎日波のように押し寄せて、頭のなかでぐるぐると渦を巻き、そして気がつかないうちに薄れて消えていった。


 最初、僕にとって彼女との出来事はそんな日々押し寄せてくる問題や出来事のうちの一つに過ぎなかった。彼女に対して、いきなり特別な感情をもっていたわけではない。


 いったい、いつからだったのだろう、と僕は思う。一体いつ、彼女の存在が僕のなかで特別大きなものになったのだろう。


 考えてみても、そのタイミングがどこだったのかは、簡単に思いつきそうにはない。いつの間にか、というのが正直な実感だった。知らないうちに僕たちの関係は深まっていた。


「いつの間にか」としか、説明することが難しい。そういうことはある。あの秋から冬と間の曖昧な季節に起こった僕と彼女の関係の変化は、まさにそういう類いのものだった。

 

2020/10/05

掌編:雨上がりの朝(改稿版)

 瑞々しい雨上がりの匂いがした。アスファルトは黒く濡れ、空はまだ薄青色に霞んでいる。僕は玄関から出ると、その湿った空気を小さく吸い、庭先のポストまで歩いて行った。

 新聞の朝刊を取り出しながら、向かいの家に視線を向ける。その家には三原紗由利という同学年の女の子が住んでいて、彼女はいつも僕と同じ時間、きっかり朝の六時半に新聞を取りに外に出てくる。

 僕たちはこの街に古くからある商店街の一画に住んでいた。僕の家は理容店で、三原の家は喫茶店だった。彼女の家の喫茶店は茶色のレンガ調の壁で出来ていて、店の前にはプランターに植えられた色とりどりの草花が咲いている。そのおしゃれな佇まいは、シャッターを下ろしている店も多いこの古い商店街のなかで唯一、花やかな印象を持っている。

 彼女とは四年前、僕たちが中学二年生だったころ、一度だけ同じクラスになったことがある。教室ではあまり会話をすることはなかったけれど、登下校中に道でばったり会ったときはなんとなく一緒に歩いたり、どちらかが学校を休んだ時なんかは、家に配布物を届けたりするくらいの付き合いはあった。

2020/10/04

掌編:秋の日の曖昧な記憶

 その日も細く静かな雨が降っていた。最近はずっと曇りや雨の日が続き、ずいぶんと長い間、青空を見ていないような気がした。

 僕はカフェの窓際の席に座って、夕暮れ時の薄暗い通りを眺めていた。窓に付着したいくつもの雨粒が、外の明かりを滲ませている。信号機の青や赤の色、流れている車のヘッドライトの白や、近くにある電飾看板の黄色……。それらすべてが、まるで窓の表面で弾け、混ざり合っているように見える。

 今日は一日、憂鬱な気分だった。何か嫌なことがあったわけではない。ただ少し、気分が落ち込んでいた。そういう日も、たまにはある。何に対してもあまり集中出来ず、意識が知らず知らずのうちに、自分の内側に向いてしまうような日。

 そういう時にいつもそうしているように、僕は陽が傾き出した頃、あまり賑やかではないカフェに入り、一人でぼんやりと時間を潰していた。この店のコーヒーは濃く、苦味が強かった。そしてどうしてか、今日はいつもよりもさらに、その苦味は強いように感じた。

 窓の外を見ながらほとんど無意識のうちに口にしていたコーヒーの苦さに、僕は薄く目を閉じた。するとその一瞬、僕の脳裏に、真夏の頃の、ひどく大きな夕陽と濃い影、そして空間全体を震わせているかのような蝉の鳴き声の記憶がよぎった。

 そのイメージの中心には、二十歳くらいの女の子がいた。編み上げのサンダルを履き、濃紺のショートパンツに白いTシャツを着て、ほっそりとした姿をしている。

 瞼を開けた。

 雨に濡れた窓と、滲んだ夕方の街の明かり。ガラス越しに遠く聞こえる、車の走行音。

 僕は頭を振った。口に残っていたコーヒーの後味も、記憶の気配も、すうっと消えていった。

 いったい、あれはいつの夏の記憶だったんだろう。

 彼女が出てくるということは、数年は前のはずだ。けれど、先ほどの一瞬の間に蘇った記憶は、まるで、まだ過ぎてからひと月と経っていない今年の夏のもののように鮮明だった。

 僕はカップを手に取り、再びコーヒーを一口飲んだ。苦味が、気だるさに満ちた頭を刺激する。カップをソーサーに戻すと、陶器の触れ合う音が、カタリ、と小さく響いた。

 あるいは混ざり合っているのかもしれない、と僕はふと思った。

 一月ほど前の夏の記憶と数年前の夏の記憶が、僕の頭のなかで混ざってしまったのだろう。記憶はおそらく時間の順序など関係なく、頭の引き出しのなかに無秩序に仕舞われているだろうから。ごちゃごちゃになってしまうこともあるだろう。

 僕は窓に滲む街の光をぼんやりと見続けた。陽はずいぶんと短くなってきていた。ふと気がつけば、屋外は一段と暗くなっていて、窓辺に座っている僕の姿が、うっすらと窓ガラスに映しだされていた。

 相変わらず、雨はやまない。付着した水滴が、時折、途切れがちな筋を描きながら下へ流れていく。僕の姿も、静かなカフェの店内の様子も、すべての輪郭がその窓のなかで混ざり合っていた。

2020/05/06

Twitterをはじめてみました。

 本日、ツイッターのアカウントを作ってみました。
 今後、作品発表の際のご報告や、こちらのホームページの更新などの情報のお知らせをツイッターでしていこうかと思っています。

 とりあえず、ツイッターが自分や自分の活動の仕方に合うかどうかわかるくらいまでは続けてみようと思っています。
 簡単な本の紹介などの文章も書けたらなと思っていますので、よかったらアクセスしてみてください!

 アカウント:@yukudo_twi