2020/08/03

夢日記 8/3

 そこは、家具屋のようだった。あまり広くはなく、吹き抜け構造になっていて、その壁際に、クッションやマットや椅子などが並んでいた。お洒落な雰囲気の店で、僕は階段をゆっくりと上りながら、僕と同じくらいの年齢の女性に、商品の案内をされていた。
 彼女は堅苦しい感じではなかった。ラグマットなどの商品を示しながら「これ超かわいいですよね」みたいに、気さくな感じで話しかけてきた。そんなふうにしてしばらくの間、ゆっくりと店内を歩いていると、やがて彼女が言った。
「明日結婚式があるんです」
「友だちのですか?」
 僕が聞くと、彼女は首を振った。
「いいえ、ここで、結婚式があるんです」
 僕は怪訝に思った。
「でも、ここにはそんなスペースはなさそうですけど」
 ここには、せいぜい50人くらいしか入ることは出来なさそうだった。それに、商品棚や家具ばかりが置かれていて、人々がかしこまって座ったり、あるいはパーティーをしたりするような余裕はとてもなさそうに思えた。というかそもそも家具屋で結婚式は普通しない。

2020/07/18

2020年 7月18日

京都アニメーションの事件から、一年が経ちました。事件についてのその後の報道などを追っていると、やるせなく重い気持ちになります。

この一年の間に、また新たな異変が起こって世界は変わってしまったし、僕たちはどんな時代に生きているのだろう、この世界は一体どうなってしまったのだろうと、ひどく漠然とした不安が、胸に湧いてきます。

文学や小説というものを取り巻く状態も、様々な新しい社会環境やテクノロジー環境との関係から、すごい勢いで変わってきていることを、毎日のように実感しています。

色々なことが変わってしまった、また変わり続けているこの現在において、小説を書く人間としてどうあればいいのか、まだはっきりと掴めていないのですが、とにかく僕は、自分にとっての良きイメージ、良き物語を書いていけるように、努力し続けます。

2020/07/14

詩:朝露に消えた夢

 
 幸福な夢を見た。
 目覚めたあと
 儚い悲しさを感じるような夢だ。

 夢の記憶は薄れていく。
 どうでもいいことを伝えてくる町内放送の音に。
 さらにどうでもいいことを伝えてくるテレビニュースの音に。
 朝の街の雑踏と、憂鬱に充ちた朝の電車の空気のなかに。

 動き出した現実の時間のなかで、しかし夢の残滓だけがいつも残る。
 あれは願望の反映なのか。
 それとも何かの警告なのか。
 僕は、新聞に目を通している男たちや
 スマートフォンの画面を眺めている女たちのなかで
 頭のなかに散らばった夢の欠片を集めながら
 考えている。

 電車から降りた街のアスファルトは朝露に濡れていた。
 そのそばにあった空き地に生えている夏草たちも濡れている。
 朝露はすぐに乾くだろう。
 あるいは、雨に流されるだろう。
 朝露は暁の女神の涙だった、という神話のエピソードのことを、
 僕はふと思い出した。

2020/06/10

詩:初夏の陽射しについてのソネット


 あまりの天気の良さに
 その日僕は用もなく外へ出て
 マンションの前に作られた
ツツジの植え込みの前の木陰に立った。


 初夏の鋭い光がまだやわらかな木々の緑を照らし
 木陰さえもが薄い緑色を帯びているように見えた。
 車のボンネット、マンホール、店の看板、外水道の蛇口、
 あたりにある金属は、陽光を、まるで砕けたガラスのように無数に散らしていた。


 僕がいる場所からは森へと至る木漏れ日の揺れる道が遠く伸びている。
 その道の途中で君は一本の木を眺めていた。
 僕が近づくと君は一瞬僕と目を合わせ、


 初夏の木の葉って、食べたくならない?
 きっと光がたっぷり吸い込まれてるよ
 透きとおるような新緑の葉を見ながら、そう言った。

2020/06/06

掌編:雨上がりの朝(改稿版)

 瑞々しい雨上がりの匂いがした。アスファルトは黒くぐっしょりと濡れ、霞んだ空の向こうに上りつつある太陽からの日差しはまだ弱く、街は灰色に近い水色にぼんやりと浮かび上がっていた。僕は玄関から出るとその空気を小さく吸って、庭先のポストまで新聞を取りに行った。

 向かいに家に住む、三原という女の子は、いつも僕と同じ時間、きっかり朝の六時半に新聞を取りに外に出てくる。僕たちは、古くからある商店街の一画に住んでいた。

 僕の家は理容店で、彼女の家は喫茶店だった。彼女の家の喫茶店は、茶色のレンガ調の壁で出来ていて、店の前にはプランターに植えられた色とりどりの草花が可憐に咲いている。そのおしゃれな佇まいは、シャッターを下ろしている店も多いこの古い商店街のなかで、唯一、花やかな印象を持っている。

 彼女とは、四年前、僕たちが中学二年生だったころ、一度だけ同じクラスになったことがある。教室ではあまり会話をすることはなかったけれど、登下校中に道でばったり会ったときはなんとなく一緒に歩いたり、どちらかが学校を休んだ時なんかは、家に配布物を届けたりするくらいの付き合いはあった。

 新聞を手に持ちながら、なんとなく灰色に近い薄青い空を見ていると、向かいにある彼女の家から、カラン、というドアベルの軽やかな音がした。

2020/05/30

長編作品の連載のお知らせ

 2019年に書いていた作品を、「カクヨム」で連載しようと思います。

「終わりかけた世界の、終わらない夏の果てに」という作品です。

 2018年から2019年にかけて、個人的に少し辛い状況にあったのですが、その状況からなんとか抜け出だそうとしている最中に、この作品を書いていました。

 いろいろあって長編小説を書くこと自体に少し時間が空いてしまっていたので、これをじっくりと時間をかけて書いて、まずは自分の小説の感覚を取り戻すんだ、という意図もありました。

 個人的に書いた作品ですが、今まで出版させて頂いた作品を書くときと、全く変わらない気持ちと、作業のプロセス(僕個人が手を動かす範囲は)で書き上げました。

 原稿自体はすでに完成しているので、一日に文庫本で5ページ分くらいずつ更新していこうと思っています。修正したくなった個所が見つかったら少し時間を置くかもしれませんが、今のところ基本的には、毎日かそれに近いペースでアップしていこうと考えています(予約投稿機能があるので、それほど負担にはならないだろうと思っています)。

 ご興味があれば、ぜひ読んでみてください!
 作品のリンクはこちらです。

 この二年くらいの間、メールやコメントなどで励ましや作品の感想のメッセージなどを書いて頂いた方々に、深く感謝しています。引き続き、楽しんで頂ける小説や文章を書いていって、もらったもの以上のお返しをしたいと思っています。

 あと、今はいくつかの出版社さんと相談しながら、他の作品の準備も進めているので、次は、今回ほど発表に時間がかからないはずだと思っています。そうできるように、頑張ろうと思います。



2020/05/22

風景と記憶のスケッチ 2020 5/22 UP

○ 秋。午後、まどろんでいたらいつの間にか眠ってしまっていた。起きたら外は暗く、冷房をつけていないのに、部屋のなかは涼しかった。長い時間眠ってしまったのだろうかと思って時計を見れば、まだ六時過ぎだった。陽が落ちるのが、ずいぶんと早くなってきた。暗闇のなかで耳をすませば、コオロギや鈴虫の音が聞えてきた。



○ 少し暑い、四月中旬の図書館。彼女は、紺のセーターを着て勉強していた。白、赤、青、三色のラインが入ったペンケースを机の上においている。前髪はまかれ、サイドの髪は、耳にかけられている。少し暑いのか、頬が火照っていたが、真面目にノートに向かっている。光がカーテンの隙間から差し込み、書棚に並んでいる書物の背表紙を、黄金色に染めている。空調の音が静かに響いている。


○ 中学時代の記憶。あたりにひとけはなく、窓からうっすらと、ごくわずかな夕陽が差し込んでいる。近くの美術室から絵の具の匂いがかすかに漂ってくる昇降口は薄暗かった。そんな場所に一人、小学生のころから知っている女子生徒がいた。互いに気づきながらも、僕たちはあいさつもせず、その場にいる。


○ 夏。マンションの出入口のすぐそばにある自動販売機で、コーラを買う。落ちてきたときの衝撃で中身が揺れていたから、フタを開けると、茶色をした炭酸の泡が音を立てて溢れ出てきて、ペットボトルと僕の手を伝って、地面にぽたぽたと雫が落ちた。僕は慌てて口をつけて、何口か一気に飲む。甘さと冷たさが、暑い夏に疲れた体に心地よかった。


○ 冬。宵の始め。あたりはすっかり暗く、空気は冷え込んでいる。黒い空に、薄灰色の雲が漂っている。家に入る。屋外よりもさらに暗い、電気の灯っていない玄関で靴ひもを解く。手がかじかんでいてほどきにくい。屋内のわずかな暖かさを感じながら、自分の部屋へ向かう。



〇 五月。初夏の夜。カーテンを閉めようと思い窓辺に立つと、綺麗な満月が出ていた。遠く離れた宇宙からあの光が僕の暗い部屋にまで届いていることを思うと、ほんの少しだけ、日々の憂鬱な気持ちが晴れてくるような気分になる。窓を開けて、少しだけ身を乗り出して、月を眺める。夜の涼しい風が吹いていた。



○ 梅雨明けすぐの、暑い夕暮れ。蒸された草木からの匂いが漂っている。商店街の前の通りを歩いていると、それぞれの店の匂いがかすかに漂ってきた。立ち寄った神社の境内には、オレンジ色の木漏れ日が、薄闇のなかに揺れていた。

2020/05/09

描写について、「自然を寫す文章」(夏目漱石)を読んで思ったこと


 小説の描写について考えていたときに、夏目漱石が面白いことを書いていたことを思い出したので、少しだけ、漢字や言葉遣いを現代風に直して引用します。「自然を寫す(写す)文章」より。

『叙事というものは、何もそんなに精細に緻細に写す必要はあるまいと思う。写せたところでそれが必ずしも価値のあるものではあるまい。例えばこの六畳の間でも、机があって本があって、どこに主人が居て(略)というような事をいくら写しても、読者が読むのに読み辛いばかりで何の価値もあるまいと思う。その六畳の特色を現わしさえすれば足りると思う。ランプが薄暗かったとか、乱雑になって居たとか言う事を、読んでいかにも心に浮べることができるように書けば足りる』  
(青空文庫で原文が読めます。
こちらです→ https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/42297_14045.html


 文章で事物を描写をするときは、そこにあるものをただ細かく書くだけではなく、どのように読者にその空間・時間のイメージを喚起させるか、ということをよく考えた方が良い、というようなことを書いているのだと思います。その場面全体の雰囲気を象徴しまとめ上げるような対象は何かという点は、僕もある時点から、文章を書くときに意識するようになりました。読みやすい文章を書くという点においては、とても大事かつ、有効な考え方だと思います。

 僕自身はどんどんイメージを分解していくような描写も、そういうタイプの作品も好きですが、漱石がここで書いているような意識・技術の方が、小説の描写としては基本になってくるのだと思います。

2020/05/06

Twitterをはじめてみました。

 本日、ツイッターのアカウントを作ってみました。
 今後、作品発表の際のご報告や、こちらのホームページの更新などの情報のお知らせをツイッターでしていこうかと思っています。

 とりあえず、ツイッターが自分や自分の活動の仕方に合うかどうかわかるくらいまでは続けてみようと思っています。
 簡単な本の紹介などの文章も書けたらなと思っていますので、よかったらのぞいてみてください!

 アカウント:@yukudo_twi

2020/05/02

未発表長編の紹介:「終わらない夏の果てに(仮)」序章

僕と美波は丘の上に立っていた。もう夕暮れ時も過ぎようとしていて、空に広がっていた夕陽の色は褪せ、薄く暮れ始めている。

眼下に広がる街に、今となってはもう当然のことだけれど、どこにも明かりは灯らない。明かりもなく、音もなく、沈黙し続けている街を見ていると、まるで僕たちは人類が死に絶えた遠い未来へ来てしまったのではないかというような、妙な錯覚を覚える。

 けれど、もちろんそんなことはない。ついこの間まで、きっとあの街だって、夜になれば無数の光が灯り、人々が行き交い、様々な生活の気配が溢れていたはずなんだ。目線を上にあげると、夕陽の赤や、夜の紺色のグラデーションが広がっている空に、小さな星が見えた。

僕はその弱い光をぼんやりと眺めていた。

「空になにか見えるの?」

 僕の近くに立って、夕暮れの光を浴びている街を見下ろしていた美波が、不思議そうに尋ねてきた。

 いや、と僕は首を横に振った。

「今みたいな太陽が沈み切る少し前の時間の空のことを、そういえば市民薄明っていうんだって、思い出してたんだ。人工の光がなくても、人間が屋外で活動できる明るさが残っているくらいの時間帯の空」

 僕がそう答えたときに、ふわりと風が吹いてきた。周囲一面に生い茂った植物の匂いの混ざった、もう去年から続いている、まったく終わる気配のない夏の、生暖かい風だった。彼女の、いつも一つに縛っている後ろ髪が、その風を受けて揺れている。

ふうん、と美波は言った。そして彼女も小さく顎を上げて、目線を上空に向けた。

「よく知ってるね」

 僕は苦笑しながら頷いた。

「『大異変』のあと、本を読むことくらいしかすることなかったから。家にあった空の写真集に書いてあったのを、ふと思い出しただけ」

 僕は昔から空を見るのが好きだった。季節や時間帯によって移り変わる空や宇宙の様子に心を惹かれた。秋の高い空や、冬の澄んだ空気、春の柔らかな日差し、夏の強烈な光と空の濃い青色、そういった季節と時の流れを感じているのが好きだった。

しかし、今ではそのような季節の移ろいはなくなってしまった。人の作り出す明かりもなくなってしまったから、星空だけはやたらと綺麗に見えるようになったけれど、それと引き換えに失ったものを思えば、喜ぶ気にはなれない。

十九世紀後半にエジソンが白熱電球を発明したとき、当時の人々は「世界から夜が消えた」と言っていたらしい。そんなことを何かの本で読んだことがあったけれど、今、僕たちはその夜闇を照らす光を失ってしまった。

昨年の夏の終わりに、この世界は一変した。元に戻る見込みは、まだない。


※ 2019年の夏から2020年初頭にかけて書いていた未発表の長編作品の冒頭です。タイミングを見て、近いうちに、全文を公開したいと思っています。おそらく媒体はインターネット上になると思います。

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