2020/10/05

掌編:雨上がりの朝(改稿版、再掲載)

 瑞々しい雨上がりの匂いがした。アスファルトは黒く濡れ、空はまだ薄青色に霞んでいる。僕は玄関から出ると、その湿った空気を小さく吸い、庭先のポストまで歩いて行った。

 新聞の朝刊を取り出しながら、向かいの家に視線を向ける。その家には三原紗由利という同学年の女の子が住んでいて、彼女はいつも僕と同じ時間、きっかり朝の六時半に新聞を取りに外に出てくる。

 僕たちはこの街に古くからある商店街の一画に住んでいた。僕の家は理容店で、三原の家は喫茶店だった。彼女の家の喫茶店は茶色のレンガ調の壁で出来ていて、店の前にはプランターに植えられた色とりどりの草花が咲いている。そのおしゃれな佇まいは、シャッターを下ろしている店も多いこの古い商店街のなかで唯一、花やかな印象を持っている。

 彼女とは四年前、僕たちが中学二年生だったころ、一度だけ同じクラスになったことがある。教室ではあまり会話をすることはなかったけれど、登下校中に道でばったり会ったときはなんとなく一緒に歩いたり、どちらかが学校を休んだ時なんかは、家に配布物を届けたりするくらいの付き合いはあった。

 ポストの中に入っていた新聞の束を取ると、三原の家から、カラン、というドアベルの軽やかな音がした。彼女が白いシャツに黒のロングスカート、それに青色のカーディガンを羽織って、ドアから出てきたところだった。

「おはよう」

 と三原は言った。僕たちの間には、車二台がどうにかすれ違えるくらいの道路があったけれど、まだ街が活動を始めていない今の時間帯なら、それほど大きな声を出さなくても会話が出来る。

「おはよう」

 と僕も答えた。

 すると、彼女は自分の家のポストから取った新聞を胸に抱えるように持ち直しながら言った。

「ねえ、これから暇? よかったらまた新しいコーヒーの試飲をしてもらいたいんだけど」

 彼女は最近、自分のオリジナルのメニューを開発しているところだった。新しいものが出来たらいろいろな人に飲んでもらって感想を聞いているらしい。今までもこういう機会は何度かあって、今回で三回目になる。

「うん。何の予定もないし、お邪魔するよ」

 僕がそう答えると「じゃあ、七時にうちに来て」と彼女はにこりと笑みを浮かべながら言った。

 わかったと僕は答えて家の中に引き返し、新聞をテーブルの上において、部屋着から薄手のシャツとチノパンという服装に着替えた。そして、七時になる二分前に再び外に出た。

『CLOSED』という札の掛かっている彼女の店のドアを脇にあるインターフォンを押し、その返事を聞いてから、 僕はドアを開けた。

 中に入ると、店に染みこんでいるコーヒーの匂いがした。

 店内は木張りの床で、壁にはいくつかの風景写真がかけられている。たくさん光を取り込める大きな窓の脇には、真っ白なカーテンがまとめられ、天井ではシーリングファンがゆっくりと回転している。

 それほど広くはないけれど、六人くらいが座れるカウンター席があって、ほかには四つのテーブル席が設置されている。

 三原は店のカウンターの奥で、薄い桜色のエプロンをして立っていた。長い髪は、ゴムで一つに結ばれている。

「おじさんたちは?」と、僕は店内を見回して言った。店のなかには僕と彼女の二人しかいない。

「昨日から旅行に行ってる。温泉だって。だからうちは明日までおやすみ」

「三原は一緒にいかなかったんだ」

 僕がなんとはなしにそう呟くと、うん、と彼女は頷いた。

「この連休中は、読まずに溜まってた本を読んだり、音楽を聴いたりして、ひとりでゆっくり過ごすつもり」

 そう言うと、彼女は手を洗ってから豆をひき始めた。銀色の容器に入ったコーヒーの粉を慣らして、すばやく抽出器に設置した。それからミルクをスチームマシンで泡立てる。作業中の彼女の手元から響く金属と金属が軽くぶつかる音、コーヒーの匂いとスチームマシンとミルクが立てるどこか小気味良い音が、早朝の店内に満ちていく。

 数分で、三原が今試作中だというカフェラテが出来上がった。

 表面のミルクの泡がハート型になっているけれど、これは彼女の淹れ方のクセで自然にできるものらしいので、特に深い意味はない。以前、三原がそう教えてくれた。

「はい。甘さをひかえめにしてみたんだけど、どうですか?」

 彼女はカップとソーサーを僕の前にコトリと置いた。自分の分もあるみたいで、彼女はそれを、ゆっくりと何かを確かめるみたいに慎重に飲み始めた。

「この前のより、飲みやすくなったような気がする」

 と、半分くらい飲んだあと、僕は言った。

「うん。こっちのほうがいいかなぁ。すっきりしてる感じで、わたしも気に入ってたの」

 そう言って、彼女は顎に手を当てて考え込んだ。コーヒーの味に詳しくない僕としては、自分の感想の他には言えることがない。けれど、もう店主である彼女のお父さんが出すものと、どこが違うのかわからない程度にはおいしいと思う。

 カフェラテを飲み切ると、僕はカップを返して、お礼を言った。

「ごちそうさまでした。ありがとう、おいしかった」

 こちらこそ、と彼女は言い、布巾でカウンターの周りを拭き始めた。

 店内に差し込む光の量が増してきていて、床には窓の木枠の十字型の影が出来ていた。店の前を車が走って行って、静かな店内にその震動が伝わってきた。

「最近、暑くなってきたね」

 三原が手を止めて言った。

「うん」と僕は頷いた。彼女は初夏の光に輝く窓の外に視線を移して、「もうちょっとしたら、海とかプールで遊べる季節になるなぁ」と言った。 

「そう言えば、三原、泳ぐの好きだったよね」

 彼女は意外そうな表情を浮かべた。

「どうして知ってるの?」

「小学校のときは夏休みによく市営のプールに行ってたし、中学に上がってからも、プールの授業のときは楽しそうにしてた気がしたから。何となく」

 そう言うと、彼女は苦笑した。僕はふいに、中学校のプールのすぐ近くに生い茂っていた夏草と、塩素の匂いを思い出した。彼女と同じクラスだったときの夏の記憶だ。

 窓から吹き込む風と、プールの後の授業のどこか甘ったるいチョークの匂い、夏の熱を持った陽光が誘う気だるさ。水から上がったあとの肌に感じる、ワイシャツのサラサラした着心地。そんな記憶に続いて、三原が僕の少し前の席で、長い髪を微かに揺らしながらペンを持って板書していた後ろ姿も浮かんできた。

「夏が来たら、海にでも行きたいね」

 僕はほとんど無意識のうちに、そんなことを口走ってしまっていた。

 独り言のようではあるけれど、誘っているようなニュアンスの方が強かった。言ってしまってから、自分でも驚いた。自然に出てきた言葉だったけれど、それは僕たちがこれまで保っていた一定の距離を、明らかに踏み越える言葉だった。

 彼女も、おそらくそういうニュアンスを感じたのだろう。「え?」と、彼女は不意を突かれたような、どこか無防備な表情で僕の方を見た。

 それから、また視線をすっと窓の方へと移した。そして、窓から差し込んでくる光を見ながら、掴みどころのない表情で、「うん。まぁ、夏が来たらね」と答えた。

 それは肯定とも、はぐらかしとも受け取れる言葉だった。でも、僕は彼女のその曖昧な答えに安心してもいた。このくらいの距離感の方が、僕たちらしい。

 僕も頷いて、それから席を立って言った。

「じゃあ、帰るよ」

「うん。またね」

 彼女は、柔らかな笑みを浮かべ、軽く手を振った。

 店を出ると、ドアベルの軽い音が、雨上がりの濡れた街に響いた。朝の陽射しにはかすかではあるけれど、夏の気配が漂っているような気がする。彼女が作ったひかえめな甘さのカフェラテの味が、まだ少し、僕の口のなかに残っていた。

2020/10/04

掌編:秋の日の曖昧な記憶

 その日も細く静かな雨が降っていた。最近はずっと曇りや雨の日が続き、ずいぶんと長い間、青空を見ていないような気がした。

 僕はカフェの窓際の席に座って、夕暮れ時の薄暗い通りを眺めていた。窓に付着したいくつもの雨粒が、外の明かりを滲ませている。信号機の青や赤の色、流れている車のヘッドライトの白や、近くにある電飾看板の黄色……。それらすべてが、まるで窓の表面で弾け、混ざり合っているように見える。

 今日は一日、憂鬱な気分だった。何か嫌なことがあったわけではない。ただ少し、気分が落ち込んでいた。そういう日も、たまにはある。何に対してもあまり集中出来ず、意識が知らず知らずのうちに、自分の内側に向いてしまうような日。

 そういう時にいつもそうしているように、僕は陽が傾き出した頃、あまり賑やかではないカフェに入り、一人でぼんやりと時間を潰していた。この店のコーヒーは濃く、苦味が強かった。そしてどうしてか、今日はいつもよりもさらに、その苦味は強いように感じた。

 窓の外を見ながらほとんど無意識のうちに口にしていたコーヒーの苦さに、僕は薄く目を閉じた。するとその一瞬、僕の脳裏に、真夏の頃の、ひどく大きな夕陽と濃い影、そして空間全体を震わせているかのような蝉の鳴き声の記憶がよぎった。

 そのイメージの中心には、二十歳くらいの女の子がいた。編み上げのサンダルを履き、濃紺のショートパンツに白いTシャツを着て、ほっそりとした姿をしている。

 瞼を開けた。

 雨に濡れた窓と、滲んだ夕方の街の明かり。ガラス越しに遠く聞こえる、車の走行音。

 僕は頭を振った。口に残っていたコーヒーの後味も、記憶の気配も、すうっと消えていった。

 いったい、あれはいつの夏の記憶だったんだろう。

 彼女が出てくるということは、数年は前のはずだ。けれど、先ほどの一瞬の間に蘇った記憶は、まるで、まだ過ぎてからひと月と経っていない今年の夏のもののように鮮明だった。

 僕はカップを手に取り、再びコーヒーを一口飲んだ。苦味が、気だるさに満ちた頭を刺激する。カップをソーサーに戻すと、陶器の触れ合う音が、カタリ、と小さく響いた。

 あるいは混ざり合っているのかもしれない、と僕はふと思った。

 一月ほど前の夏の記憶と数年前の夏の記憶が、僕の頭のなかで混ざってしまったのだろう。記憶はおそらく時間の順序など関係なく、頭の引き出しのなかに無秩序に仕舞われているだろうから。ごちゃごちゃになってしまうこともあるだろう。

 僕は窓に滲む街の光をぼんやりと見続けた。陽はずいぶんと短くなってきていた。ふと気がつけば、屋外は一段と暗くなっていて、窓辺に座っている僕の姿が、うっすらと窓ガラスに映しだされていた。

 相変わらず、雨はやまない。付着した水滴が、時折、途切れがちな筋を描きながら下へ流れていく。僕の姿も、静かなカフェの店内の様子も、すべての輪郭がその窓のなかで混ざり合っていた。

2020/07/18

2020年 7月18日

京都アニメーションの事件から、一年が経ちました。事件についてのその後の報道などを追っていると、やるせなく重い気持ちになります。

この一年の間に、また新たな異変が起こって世界は変わってしまったし、僕たちはどんな時代に生きているのだろう、この世界は一体どうなってしまったのだろうと、ひどく漠然とした不安が、胸に湧いてきます。

文学や小説というものを取り巻く状態も、様々な新しい社会環境やテクノロジー環境との関係から、すごい勢いで変わってきていることを、毎日のように実感しています。

色々なことが変わってしまった、また変わり続けているこの現在において、小説を書く人間としてどうあればいいのか、まだはっきりと掴めていないのですが、とにかく僕は、自分にとっての良きイメージ、良き物語を書いていけるように、努力し続けます。

2020/07/14

詩:朝露に消えた夢

 
 幸福な夢を見た。
 目覚めたあと
 儚い悲しさを感じるような夢だ。

 夢の記憶は薄れていく。
 どうでもいいことを伝えてくる町内放送の音に。
 さらにどうでもいいことを伝えてくるテレビニュースの音に。
 朝の街の雑踏と、憂鬱に充ちた朝の電車の空気のなかに。

 動き出した現実の時間のなかで、しかし夢の残滓だけがいつも残る。
 あれは願望の反映なのか。
 それとも何かの警告なのか。
 僕は、新聞に目を通している男たちや
 スマートフォンの画面を眺めている女たちのなかで
 頭のなかに散らばった夢の欠片を集めながら
 考えている。

 電車から降りた街のアスファルトは朝露に濡れていた。
 そのそばにあった空き地に生えている夏草たちも濡れている。
 朝露はすぐに乾くだろう。
 あるいは、雨に流されるだろう。
 朝露は暁の女神の涙だった、という神話のエピソードのことを、
 僕はふと思い出した。

2020/06/10

詩:初夏の陽射しについてのソネット


 あまりの天気の良さに
 その日僕は用もなく外へ出て
 マンションの前に作られた
ツツジの植え込みの前の木陰に立った。


 初夏の鋭い光がまだやわらかな木々の緑を照らし
 木陰さえもが薄い緑色を帯びているように見えた。
 車のボンネット、マンホール、店の看板、外水道の蛇口、
 あたりにある金属は、陽光を、まるで砕けたガラスのように無数に散らしていた。


 僕がいる場所からは森へと至る木漏れ日の揺れる道が遠く伸びている。
 その道の途中で君は一本の木を眺めていた。
 僕が近づくと君は一瞬僕と目を合わせ、


 初夏の木の葉って、食べたくならない?
 きっと光がたっぷり吸い込まれてるよ
 透きとおるような新緑の葉を見ながら、そう言った。

2020/05/30

長編作品の連載のお知らせ

 2019年に書いていた作品を、「カクヨム」で連載しようと思います。

「終わりかけた世界の、終わらない夏の果てに」という作品です。

 2018年から2019年にかけて、個人的に少し辛い状況にあったのですが、その状況からなんとか抜け出だそうとしている最中に、この作品を書いていました。

 いろいろあって長編小説を書くこと自体に少し時間が空いてしまっていたので、これをじっくりと時間をかけて書いて、まずは自分の小説の感覚を取り戻すんだ、という意図もありました。

 個人的に書いた作品ですが、今まで出版させて頂いた作品を書くときと、全く変わらない気持ちと、作業のプロセス(僕個人が手を動かす範囲は)で書き上げました。

 原稿自体はすでに完成しているので、一日に文庫本で5ページ分くらいずつ更新していこうと思っています。修正したくなった個所が見つかったら少し時間を置くかもしれませんが、今のところ基本的には、毎日かそれに近いペースでアップしていこうと考えています(予約投稿機能があるので、それほど負担にはならないだろうと思っています)。

 ご興味があれば、ぜひ読んでみてください!
 作品のリンクはこちらです。

 この二年くらいの間、メールやコメントなどで励ましや作品の感想のメッセージなどを書いて頂いた方々に、深く感謝しています。引き続き、楽しんで頂ける小説や文章を書いていって、もらったもの以上のお返しをしたいと思っています。

 あと、今はいくつかの出版社さんと相談しながら、他の作品の準備も進めているので、次は、今回ほど発表に時間がかからないはずだと思っています。そうできるように、頑張ろうと思います。



2020/05/22

風景と記憶のスケッチ 2020 5/22 UP

○ 秋。午後、まどろんでいたらいつの間にか眠ってしまっていた。起きたら外は暗く、冷房をつけていないのに、部屋のなかは涼しかった。長い時間眠ってしまったのだろうかと思って時計を見れば、まだ六時過ぎだった。陽が落ちるのが、ずいぶんと早くなってきた。暗闇のなかで耳をすませば、コオロギや鈴虫の音が聞えてきた。



○ 少し暑い、四月中旬の図書館。彼女は、紺のセーターを着て勉強していた。白、赤、青、三色のラインが入ったペンケースを机の上においている。前髪はまかれ、サイドの髪は、耳にかけられている。少し暑いのか、頬が火照っていたが、真面目にノートに向かっている。光がカーテンの隙間から差し込み、書棚に並んでいる書物の背表紙を、黄金色に染めている。空調の音が静かに響いている。


○ 中学時代の記憶。あたりにひとけはなく、窓からうっすらと、ごくわずかな夕陽が差し込んでいる。近くの美術室から絵の具の匂いがかすかに漂ってくる昇降口は薄暗かった。そんな場所に一人、小学生のころから知っている女子生徒がいた。互いに気づきながらも、僕たちはあいさつもせず、その場にいる。


○ 夏。マンションの出入口のすぐそばにある自動販売機で、コーラを買う。落ちてきたときの衝撃で中身が揺れていたから、フタを開けると、茶色をした炭酸の泡が音を立てて溢れ出てきて、ペットボトルと僕の手を伝って、地面にぽたぽたと雫が落ちた。僕は慌てて口をつけて、何口か一気に飲む。甘さと冷たさが、暑い夏に疲れた体に心地よかった。


○ 冬。宵の始め。あたりはすっかり暗く、空気は冷え込んでいる。黒い空に、薄灰色の雲が漂っている。家に入る。屋外よりもさらに暗い、電気の灯っていない玄関で靴ひもを解く。手がかじかんでいてほどきにくい。屋内のわずかな暖かさを感じながら、自分の部屋へ向かう。



〇 五月。初夏の夜。カーテンを閉めようと思い窓辺に立つと、綺麗な満月が出ていた。遠く離れた宇宙からあの光が僕の暗い部屋にまで届いていることを思うと、ほんの少しだけ、日々の憂鬱な気持ちが晴れてくるような気分になる。窓を開けて、少しだけ身を乗り出して、月を眺める。夜の涼しい風が吹いていた。



○ 梅雨明けすぐの、暑い夕暮れ。蒸された草木からの匂いが漂っている。商店街の前の通りを歩いていると、それぞれの店の匂いがかすかに漂ってきた。立ち寄った神社の境内には、オレンジ色の木漏れ日が、薄闇のなかに揺れていた。

2020/05/09

描写について、「自然を寫す文章」(夏目漱石)を読んで思ったこと


 小説の描写について考えていたときに、夏目漱石が面白いことを書いていたことを思い出したので、少しだけ、漢字や言葉遣いを現代風に直して引用します。「自然を寫す(写す)文章」より。

『叙事というものは、何もそんなに精細に緻細に写す必要はあるまいと思う。写せたところでそれが必ずしも価値のあるものではあるまい。例えばこの六畳の間でも、机があって本があって、どこに主人が居て(略)というような事をいくら写しても、読者が読むのに読み辛いばかりで何の価値もあるまいと思う。その六畳の特色を現わしさえすれば足りると思う。ランプが薄暗かったとか、乱雑になって居たとか言う事を、読んでいかにも心に浮べることができるように書けば足りる』  
(青空文庫で原文が読めます。
こちらです→ https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/42297_14045.html


 文章で事物を描写をするときは、そこにあるものをただ細かく書くだけではなく、どのように読者にその空間・時間のイメージを喚起させるか、ということをよく考えた方が良い、というようなことを書いているのだと思います。その場面全体の雰囲気を象徴しまとめ上げるような対象は何かという点は、僕もある時点から、文章を書くときに意識するようになりました。読みやすい文章を書くという点においては、とても大事かつ、有効な考え方だと思います。

 僕自身はどんどんイメージを分解していくような描写も、そういうタイプの作品も好きですが、漱石がここで書いているような意識・技術の方が、小説の描写としては基本になってくるのだと思います。

2020/05/06

Twitterをはじめてみました。

 本日、ツイッターのアカウントを作ってみました。
 今後、作品発表の際のご報告や、こちらのホームページの更新などの情報のお知らせをツイッターでしていこうかと思っています。

 とりあえず、ツイッターが自分や自分の活動の仕方に合うかどうかわかるくらいまでは続けてみようと思っています。
 簡単な本の紹介などの文章も書けたらなと思っていますので、よかったらのぞいてみてください!

 アカウント:@yukudo_twi

2020/05/02

未発表長編の紹介:「終わらない夏の果てに(仮)」序章

僕と美波は丘の上に立っていた。もう夕暮れ時も過ぎようとしていて、空に広がっていた夕陽の色は褪せ、薄く暮れ始めている。

眼下に広がる街に、今となってはもう当然のことだけれど、どこにも明かりは灯らない。明かりもなく、音もなく、沈黙し続けている街を見ていると、まるで僕たちは人類が死に絶えた遠い未来へ来てしまったのではないかというような、妙な錯覚を覚える。

 けれど、もちろんそんなことはない。ついこの間まで、きっとあの街だって、夜になれば無数の光が灯り、人々が行き交い、様々な生活の気配が溢れていたはずなんだ。目線を上にあげると、夕陽の赤や、夜の紺色のグラデーションが広がっている空に、小さな星が見えた。

僕はその弱い光をぼんやりと眺めていた。

「空になにか見えるの?」

 僕の近くに立って、夕暮れの光を浴びている街を見下ろしていた美波が、不思議そうに尋ねてきた。

 いや、と僕は首を横に振った。

「今みたいな太陽が沈み切る少し前の時間の空のことを、そういえば市民薄明っていうんだって、思い出してたんだ。人工の光がなくても、人間が屋外で活動できる明るさが残っているくらいの時間帯の空」

 僕がそう答えたときに、ふわりと風が吹いてきた。周囲一面に生い茂った植物の匂いの混ざった、もう去年から続いている、まったく終わる気配のない夏の、生暖かい風だった。彼女の、いつも一つに縛っている後ろ髪が、その風を受けて揺れている。

ふうん、と美波は言った。そして彼女も小さく顎を上げて、目線を上空に向けた。

「よく知ってるね」

 僕は苦笑しながら頷いた。

「『大異変』のあと、本を読むことくらいしかすることなかったから。家にあった空の写真集に書いてあったのを、ふと思い出しただけ」

 僕は昔から空を見るのが好きだった。季節や時間帯によって移り変わる空や宇宙の様子に心を惹かれた。秋の高い空や、冬の澄んだ空気、春の柔らかな日差し、夏の強烈な光と空の濃い青色、そういった季節と時の流れを感じているのが好きだった。

しかし、今ではそのような季節の移ろいはなくなってしまった。人の作り出す明かりもなくなってしまったから、星空だけはやたらと綺麗に見えるようになったけれど、それと引き換えに失ったものを思えば、喜ぶ気にはなれない。

十九世紀後半にエジソンが白熱電球を発明したとき、当時の人々は「世界から夜が消えた」と言っていたらしい。そんなことを何かの本で読んだことがあったけれど、今、僕たちはその夜闇を照らす光を失ってしまった。

昨年の夏の終わりに、この世界は一変した。元に戻る見込みは、まだない。


※ 2019年の夏から2020年初頭にかけて書いていた未発表の長編作品の冒頭です。タイミングを見て、近いうちに、全文を公開したいと思っています。おそらく媒体はインターネット上になると思います。

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