2021/03/21

短編:秋と冬のあいだに

 秋と冬の境目って、どこにあると思う?


 高校受験を控えた十五歳の秋の日に、僕は彼女とそんな話をした。


 今でも、あの日のことは鮮明に思い出すことが出来る。十一月の冷えた夜のことで、僕がその問いを発したとき、彼女はきょとんとした表情を浮かべていた。


 あの時期、僕と彼女の関係はとても短い間に急激に変化していた。この話をしたときにはもうかなり親しくなっていたのだろうけれど、当時の僕はその変化をあまり自覚していなかった。そしてその意味についても。


 十五歳前後の頃は、考えなくてはいけないことがたくさんあった。自分自身の内側のことについても、外側のことについても、様々な問題や疑問や不安が毎日波のように押し寄せて、頭のなかでぐるぐると渦を巻き、そして気がつかないうちに薄れて消えていった。


 最初、僕にとって彼女との出来事はそんな日々押し寄せてくる問題や出来事のうちの一つに過ぎなかった。彼女に対して、いきなり特別な感情をもっていたわけではない。


 いったい、いつからだったのだろう、と僕は思う。一体いつ、彼女の存在が僕のなかで特別大きなものになったのだろう。


 考えてみても、そのタイミングがどこだったのかは、簡単に思いつきそうにはない。いつの間にか、というのが正直な実感だった。知らないうちに僕たちの関係は深まっていた。


「いつの間にか」としか、説明することが難しい。そういうことはある。あの秋から冬と間の曖昧な季節に起こった僕と彼女の関係の変化は、まさにそういう類いのものだった。

 

2020/12/31

2020年

 2020年が過ぎようとしています。よく言われていることですが、今年は特に過ぎるのが早かったような気がします。コロナウイルスで世間が混乱しはじめた春先のことがついこの間のことのように思えます。その後の夏や秋のことについても、ひとつひとつ思い出していけばそれなりに様々な情景が思い浮かび、一年を過ごしたんだなという感覚はやってくるのですが、どうしてか全体の印象としては、本当に早く過ぎた、という感じがしています。

 僕自身としては、2020年は新しい作品の企画・プロットを考えることに費やしました。正直、2018年からの一年半ほどの間、なかなか小説の仕事を進めるのが難しい状況が続いていたのですが、今年は具体的に出版を目指して、編集者の方とやり取りを続けながら作品の構想を練ってきました。
 この作品がどうなるかはまだ未定なのですが、キャラクターや物語を考えている時間は充実していましたし、きっといい作品になるだろうという思いを強く持っているので、引き続き、この作品が形になるように頑張ります。来年発表できたらいいなと心から思っています。

 あと今年は、カクヨムやツイッターのアカウントを作成しました。これまでに出版した作品を読んでくれたことのある方々とコミュニケーションを取れたことはとても嬉しいことでした。カクヨム等ネットでの作品掲載もしばらくは続けると思いますので、暇なときにでも読んで頂けたら嬉しいです。

 世間的にはまだ大変な状況が続きそうですが、健康に気をつけてお過ごしください。いろいろな面で、来年がいい年になりますように。

 今年もお世話になりました。よいお年を!

2020/10/05

掌編:雨上がりの朝(改稿版、再掲載)

 瑞々しい雨上がりの匂いがした。アスファルトは黒く濡れ、空はまだ薄青色に霞んでいる。僕は玄関から出ると、その湿った空気を小さく吸い、庭先のポストまで歩いて行った。

 新聞の朝刊を取り出しながら、向かいの家に視線を向ける。その家には三原紗由利という同学年の女の子が住んでいて、彼女はいつも僕と同じ時間、きっかり朝の六時半に新聞を取りに外に出てくる。

 僕たちはこの街に古くからある商店街の一画に住んでいた。僕の家は理容店で、三原の家は喫茶店だった。彼女の家の喫茶店は茶色のレンガ調の壁で出来ていて、店の前にはプランターに植えられた色とりどりの草花が咲いている。そのおしゃれな佇まいは、シャッターを下ろしている店も多いこの古い商店街のなかで唯一、花やかな印象を持っている。

 彼女とは四年前、僕たちが中学二年生だったころ、一度だけ同じクラスになったことがある。教室ではあまり会話をすることはなかったけれど、登下校中に道でばったり会ったときはなんとなく一緒に歩いたり、どちらかが学校を休んだ時なんかは、家に配布物を届けたりするくらいの付き合いはあった。

2020/10/04

掌編:秋の日の曖昧な記憶

 その日も細く静かな雨が降っていた。最近はずっと曇りや雨の日が続き、ずいぶんと長い間、青空を見ていないような気がした。

 僕はカフェの窓際の席に座って、夕暮れ時の薄暗い通りを眺めていた。窓に付着したいくつもの雨粒が、外の明かりを滲ませている。信号機の青や赤の色、流れている車のヘッドライトの白や、近くにある電飾看板の黄色……。それらすべてが、まるで窓の表面で弾け、混ざり合っているように見える。

 今日は一日、憂鬱な気分だった。何か嫌なことがあったわけではない。ただ少し、気分が落ち込んでいた。そういう日も、たまにはある。何に対してもあまり集中出来ず、意識が知らず知らずのうちに、自分の内側に向いてしまうような日。

 そういう時にいつもそうしているように、僕は陽が傾き出した頃、あまり賑やかではないカフェに入り、一人でぼんやりと時間を潰していた。この店のコーヒーは濃く、苦味が強かった。そしてどうしてか、今日はいつもよりもさらに、その苦味は強いように感じた。

 窓の外を見ながらほとんど無意識のうちに口にしていたコーヒーの苦さに、僕は薄く目を閉じた。するとその一瞬、僕の脳裏に、真夏の頃の、ひどく大きな夕陽と濃い影、そして空間全体を震わせているかのような蝉の鳴き声の記憶がよぎった。

 そのイメージの中心には、二十歳くらいの女の子がいた。編み上げのサンダルを履き、濃紺のショートパンツに白いTシャツを着て、ほっそりとした姿をしている。

 瞼を開けた。

 雨に濡れた窓と、滲んだ夕方の街の明かり。ガラス越しに遠く聞こえる、車の走行音。

 僕は頭を振った。口に残っていたコーヒーの後味も、記憶の気配も、すうっと消えていった。

 いったい、あれはいつの夏の記憶だったんだろう。

 彼女が出てくるということは、数年は前のはずだ。けれど、先ほどの一瞬の間に蘇った記憶は、まるで、まだ過ぎてからひと月と経っていない今年の夏のもののように鮮明だった。

 僕はカップを手に取り、再びコーヒーを一口飲んだ。苦味が、気だるさに満ちた頭を刺激する。カップをソーサーに戻すと、陶器の触れ合う音が、カタリ、と小さく響いた。

 あるいは混ざり合っているのかもしれない、と僕はふと思った。

 一月ほど前の夏の記憶と数年前の夏の記憶が、僕の頭のなかで混ざってしまったのだろう。記憶はおそらく時間の順序など関係なく、頭の引き出しのなかに無秩序に仕舞われているだろうから。ごちゃごちゃになってしまうこともあるだろう。

 僕は窓に滲む街の光をぼんやりと見続けた。陽はずいぶんと短くなってきていた。ふと気がつけば、屋外は一段と暗くなっていて、窓辺に座っている僕の姿が、うっすらと窓ガラスに映しだされていた。

 相変わらず、雨はやまない。付着した水滴が、時折、途切れがちな筋を描きながら下へ流れていく。僕の姿も、静かなカフェの店内の様子も、すべての輪郭がその窓のなかで混ざり合っていた。

2020/07/18

2020年 7月18日

京都アニメーションの事件から、一年が経ちました。事件についてのその後の報道などを追っていると、やるせなく重い気持ちになります。

この一年の間に、また新たな異変が起こって世界は変わってしまったし、僕たちはどんな時代に生きているのだろう、この世界は一体どうなってしまったのだろうと、ひどく漠然とした不安が、胸に湧いてきます。

文学や小説というものを取り巻く状態も、様々な新しい社会環境やテクノロジー環境との関係から、すごい勢いで変わってきていることを、毎日のように実感しています。

色々なことが変わってしまった、また変わり続けているこの現在において、小説を書く人間としてどうあればいいのか、まだはっきりと掴めていないのですが、とにかく僕は、自分にとっての良きイメージ、良き物語を書いていけるように、努力し続けます。

2020/07/14

詩:朝露に消えた夢

 
 幸福な夢を見た。
 目覚めたあと
 儚い悲しさを感じるような夢だ。

 夢の記憶は薄れていく。
 どうでもいいことを伝えてくる町内放送の音に。
 さらにどうでもいいことを伝えてくるテレビニュースの音に。
 朝の街の雑踏と、憂鬱に充ちた朝の電車の空気のなかに。

 動き出した現実の時間のなかで、しかし夢の残滓だけがいつも残る。
 あれは願望の反映なのか。
 それとも何かの警告なのか。
 僕は、新聞に目を通している男たちや
 スマートフォンの画面を眺めている女たちのなかで
 頭のなかに散らばった夢の欠片を集めながら
 考えている。

 電車から降りた街のアスファルトは朝露に濡れていた。
 そのそばにあった空き地に生えている夏草たちも濡れている。
 朝露はすぐに乾くだろう。
 あるいは、雨に流されるだろう。
 朝露は暁の女神の涙だった、という神話のエピソードのことを、
 僕はふと思い出した。

2020/06/10

詩:初夏の陽射しについてのソネット


 あまりの天気の良さに
 その日僕は用もなく外へ出て
 マンションの前に作られた
ツツジの植え込みの前の木陰に立った。


 初夏の鋭い光がまだやわらかな木々の緑を照らし
 木陰さえもが薄い緑色を帯びているように見えた。
 車のボンネット、マンホール、店の看板、外水道の蛇口、
 あたりにある金属は、陽光を、まるで砕けたガラスのように無数に散らしていた。


 僕がいる場所からは森へと至る木漏れ日の揺れる道が遠く伸びている。
 その道の途中で君は一本の木を眺めていた。
 僕が近づくと君は一瞬僕と目を合わせ、


 初夏の木の葉って、食べたくならない?
 きっと光がたっぷり吸い込まれてるよ
 透きとおるような新緑の葉を見ながら、そう言った。

2020/05/22

風景と記憶のスケッチ 2020 5/22 UP

○ 秋。午後、まどろんでいたらいつの間にか眠ってしまっていた。起きたら外は暗く、冷房をつけていないのに、部屋のなかは涼しかった。長い時間眠ってしまったのだろうかと思って時計を見れば、まだ六時過ぎだった。陽が落ちるのが、ずいぶんと早くなってきた。暗闇のなかで耳をすませば、コオロギや鈴虫の音が聞えてきた。



○ 少し暑い、四月中旬の図書館。彼女は、紺のセーターを着て勉強していた。白、赤、青、三色のラインが入ったペンケースを机の上においている。前髪はまかれ、サイドの髪は、耳にかけられている。少し暑いのか、頬が火照っていたが、真面目にノートに向かっている。光がカーテンの隙間から差し込み、書棚に並んでいる書物の背表紙を、黄金色に染めている。空調の音が静かに響いている。


○ 中学時代の記憶。あたりにひとけはなく、窓からうっすらと、ごくわずかな夕陽が差し込んでいる。近くの美術室から絵の具の匂いがかすかに漂ってくる昇降口は薄暗かった。そんな場所に一人、小学生のころから知っている女子生徒がいた。互いに気づきながらも、僕たちはあいさつもせず、その場にいる。


○ 夏。マンションの出入口のすぐそばにある自動販売機で、コーラを買う。落ちてきたときの衝撃で中身が揺れていたから、フタを開けると、茶色をした炭酸の泡が音を立てて溢れ出てきて、ペットボトルと僕の手を伝って、地面にぽたぽたと雫が落ちた。僕は慌てて口をつけて、何口か一気に飲む。甘さと冷たさが、暑い夏に疲れた体に心地よかった。


○ 冬。宵の始め。あたりはすっかり暗く、空気は冷え込んでいる。黒い空に、薄灰色の雲が漂っている。家に入る。屋外よりもさらに暗い、電気の灯っていない玄関で靴ひもを解く。手がかじかんでいてほどきにくい。屋内のわずかな暖かさを感じながら、自分の部屋へ向かう。



〇 五月。初夏の夜。カーテンを閉めようと思い窓辺に立つと、綺麗な満月が出ていた。遠く離れた宇宙からあの光が僕の暗い部屋にまで届いていることを思うと、ほんの少しだけ、日々の憂鬱な気持ちが晴れてくるような気分になる。窓を開けて、少しだけ身を乗り出して、月を眺める。夜の涼しい風が吹いていた。



○ 梅雨明けすぐの、暑い夕暮れ。蒸された草木からの匂いが漂っている。商店街の前の通りを歩いていると、それぞれの店の匂いがかすかに漂ってきた。立ち寄った神社の境内には、オレンジ色の木漏れ日が、薄闇のなかに揺れていた。